ピンスク (Pinsk)
1132年にはミンスク公国の一部を形成していたが、1239年にはモンゴル人が侵入したためピンスクは13世紀の終わりまで別の公国の主要都市になった.
1320年にはリトアニア大公国に編入される.
1569年のルブリン合同でポーランド・リトアニア共和国が成立すると共和国のブレスト県の県庁が置かれ、街は繁栄した.
フメリニツキーの乱のさなかの1648年には、フメリニツキー率いるウクライナ・コサック反乱勢力が街を襲撃し、コサックたちは大規模なユダヤ人虐殺行為(ポグロム)を行った. その後リトアニア野戦ヘトマンのヤヌシュ・ラジヴィウが率いる共和国軍が奪還に成功したが、その後もコサックはロシア軍と結託し、共和国軍による防備が手薄な時期を狙って数十年にわたり何度も街を襲った.
1706年にはカール12世率いるスウェーデン軍に占領され、略奪を受けたうえで焼き払われた. 共和国はスウェーデンから街を奪還し、1729年から1744年まで創業した共和国国立印刷所を中心に急速な経済復興を図り、伝統の造船業および河川運送業が再び栄えた.
1793年の第2次ポーランド分割により、街はロシア帝国の手に落ちた.
19世紀に入りロシア帝国の政策でポーランド立憲王国に近い帝国西部国境一帯にユダヤ教徒が集められた. 1897年の帝国国勢調査ではピンスクの人口の4分の3がユダヤ教徒の住民で占められていた.
ポーランド・ソビエト戦争のさなかの1919年、街を占領していたポーランド軍によってユダヤ教徒住民の一部が利敵行為(ソ連赤軍に内通)の嫌疑で逮捕され、うち35人が有罪となり処刑された.
1939年にはナチス・ドイツとソ連によるポーランド侵攻が勃発、ピンスクはソ連軍に占領された. このとき街の人口の90%がユダヤ教徒であった.
地図 - ピンスク (Pinsk)
地図
国 - ベラルーシ
ベラルーシの国旗 |
国体が常に激しく変化して来た歴史を持つ国家の一つである. かつてはソビエト連邦の構成国家の一つとして機能していたが、ソビエト連邦の崩壊によって独立を果たした.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
---|---|---|---|
BYN | ベラルーシ・ルーブル (Belarusian ruble) | Br | 2 |